バドミントン選手の賭博問題 選手のキャリアに必要な議論
2016/06/14
バドミントン日本代表の田児賢一選手と桃田賢斗選手が闇カジノで賭博を繰り返していたことに端を発する話題が喧しいですね。
日本バドミントン協会の処分は真っ当。感情を交えて話すべきではない
様々な意見はあると思いますが、社会的な部分とスポーツ的な見地に立てば日本バドミントン協会の対応は冷静で、極めて真っ当な処分を下したと思っています。賭博に関わったことを発端に選手資格が無くなることから、「責任が重過ぎる」というような考えもあるようですが、これは焦点とすべきところとズレているなと感じます。おそらくこれは選手がリオデジャネイロ五輪のメダル候補だから出てくる意見でしょう。
不祥事があった時に「温情措置を」というような声は必ず出るものですが、今回で言えばメダル候補の選手でなければ同じ声が出たのかと考えると、疑問に思わざるを得ません。五輪でメダルを獲るのを見たいから、というような感情交じりの声で、あたかも選手の将来を憂えているようなフリはやめないといけません。
こうした場合に管轄する協会や連盟が守るべきはスポーツおよび競技としてのバドミントンであって、そのために日本バドミントン協会が下した処分というのは全く持って間違った判断ではありません。オリンピックに出られないのはバドミントン界を貶めた代償として田児選手や桃田選手が受けなければいけない罰なんですよね。
違法賭博に関わったことで生まれた社会的な責任は別のところでとるべきでしょう。二人は犯罪者だから、というような論調も少なからずありますが、スポーツとして取る責任と社会的な責任とは同じ次元で考えるものでもなく、そこを混同して話してはいけないのです。
消費の文化が生み出す弊害 「キャリアを守る」考え方を
また、ここで考えなければならないのは、スポーツ選手のセーフティネットというところだと思います。二人が所属するNTT東日本に対する批判も一部あるようで、選手の教育や監督の責任が全てNTT東日本にあるとは思いませんが、その点は議論すべきところでしょう。セカンドチャンスを与えることもそうですが、選手生命を脅かすことに首を突っ込むことを未然に防ぐための対策がより必要だと思います。
日本のスポーツが教育と深く結び付いてきたことから、近年になって様々な綻びが見えてきている。このブログでも書いてきたことですが、今回の件も本質は同じなのではないかと思っています。企業スポーツも部活動の延長にあり、要は“部活動”が生み出した事件なのではないかということです。
日本のスポーツに顕著なのは才能や能力を消費する文化であり、社会人としてのキャリアを守る考え方はほとんど存在しません。道を踏み外さない、坂道を転げ落ちないようなセーフティネットを企業であれば研修などの形で用意する訳ですが、その点はスポーツ界においては不足しているというのが現状でしょう。
危険薬物に違法賭博、あるいは八百長への誘い。選手生命どころか社会生活さえも失いかねない危険がスポーツ選手には付き纏う訳です。その点に関する教育や監督が十分に施されていないのは、高校・大学・企業・プロというカテゴリーでさえ活躍できればいいという、消費の文化が生み出してきた状況なのではないかと思うんですよね。
テニス選手の八百長、野球賭博、元プロ野球選手の違法薬物使用に闇カジノ…。今年だけでこれだけのことが問題として明るみに出てきている。これらの危険から選手の身を守るのは一体誰なのか、一体どうやって守るのか。今回のバドミントンの件を通してもこのことを案ぜずにはいられません。
今回のことは選手のキャリアという視点でも、スポーツの在り方というところと一体でもあるだけに、議論の契機にしていかなければなりません。