スポーツ

箱根駅伝は“非スポーツ”? 玉木正之氏が投げ掛ける疑問符

2016/06/14

箱根駅伝は青山学院大学の往路初優勝に湧いていますね。まだ明日の復路が残っていますが、まずは青山学院大学の皆さん、おめでとうございます。何年も続けての強化が実った結果だと思います。

 

正月の風物詩とも言えるこの箱根駅伝ですが、今朝のコラムでスポーツライターの玉木正之氏が批判をしています。

 

Listening:<時評・点描>箱根駅伝、スポーツにあらず=玉木正之 | 毎日新聞

 

青山学院大学の卒業生など、この優勝を待ち望んでいた人も多いでしょうし、水を差すこともしたくないので私自身の賛否はここでは控えます。ですが、玉木氏の批判は正鵠を射ていると言っていいでしょう。

 

発展性がなく、美談が持て囃される日本のスポーツ

箱根駅伝に限らないことですが、日本のスポーツというのは世界の潮流から外れて独自に発展し過ぎた大会が多すぎる。私が度々論じている甲子園然り、高校サッカー然り。それは一つの文化と言えなくもないですが、冷静になって見るとどうしても疑問符を付けざるを得ません。

 

独自の発展を遂げたことで生まれた弊害というのは、まさに玉木氏が論じている「日本の長距離界はさらに優秀な人材を失うだろう。」という部分。日本のスポーツは学業のラインを越えたところへの発展性がない場合が非常に多いんですよね。

 

人材の移動性や発展性がなくなると、人材という意味でも文化という意味でも損失になるのは間違いない。高いレベルを経験した人が燃え尽きてしまうと、その経験が伝わらなくなっていくからです。

 

そして、ここでも日本のスポーツに蔓延っているのが“美談”をよしとする風潮。「たすきを繋ぐ」あるいは「最後のロッカールーム」といった話がどうしても持て囃され、スポーツの本質に近い部分が忘れ去られてしまっている。玉木氏の言う“非スポーツ”は本当に日本に多いわけです。

 

そうした美談が金になるからこそメディアが持て囃し、そこを目指す学生も多くなるのでしょう。ですが、5年半後の東京オリンピックを控え、我々はもっと日本のスポーツの本質を見ないといけない。そこに至るための疑問符を、玉木氏は投げ掛けてくれているのではないかと思います。

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