ワールドカップ開幕戦の報道に見る、メディア態度の危うさ
2016/06/14
いよいよワールドカップが開幕しました。始まってまだ3日目を迎えるところですが、早くも様々に話題が上がってきていますね。
ワールドカップ開幕 ブラジルはネイマール、オスカルのゴールでクロアチア下す【画像】 | ハフィントンポスト日本語版
開幕戦の日本人審判団に対する、本質を見失いかねない報道
ネガティブな話題と言えば、開幕戦であったPKの議論でしょう。筆者も観戦していましたが、日本人の西村雄一主審の下した判定が物議を醸しています。
あまりこのブログで試合のことについて書くということはしたくないのですが、一応自分の立場を表しておきますと、西村主審の判断は全くもって正当なジャッジだったと考えています。報道を見ていると、どうも西村主審が誤審をしたかのような論調になっているところが多いですが、ルールの解釈という意味でも、大会の審判基準をつくったという意味でも、西村主審はその大役を果たしたと思います。
W杯開幕戦、西村主審は誤審をしたのか?“大会第1戦”の意味とクロアチア監督が批判した理由 | フットボールチャンネル
元W杯レフェリー:責めるべきは西村氏ではなく… | Goal.com日本語版
この記事にありますが、西村主審の判断を「誤審」と騒ぐのはナンセンスな行為だと思います。ルールの適用自体には全く問題がなく、FIFAからも「ペナルティエリア内で手を使って妨害したらファウル」という基準がアナウンスされていました。それを考えると西村主審には非がないように思うのですが、観る側の反応として多いのは「開幕戦を務める審判じゃなかった」「日本の審判のレベルが低い」というもの。見ていて非常に残念な気持ちにさせられます。
勝敗を決定付けたというところでも、あのPKの判断にフォーカスが当たるのは致し方ないところではあります。しかし何故、メディアは一つの方向性でしか反応ができないのでしょうか。この報道の仕方、反応の仕方では、事の本質を見失いかねません。
まずは本質となる二つの事実を評価すべき
まず、日本人審判団がワールドカップの開幕戦を務め上げたのは歴史的な出来事です。前述している通り、開幕戦のジャッジというのはその後の大会63試合の基準を作る。緊張感が高まる試合でもありますし、世界有数の審判団でなければ選ばれない舞台です。西村主審は以前から「国際舞台でもJリーグで同じ基準で笛を吹く」と語っていますし、開幕戦に日本の審判団が選ばれたのは、ひいてはJリーグの審判のレベルの高さが世界的に認められたということでもあります。
もう一つ。PK判断の部分も含めて、西村主審の試合コントロールには90分を通して一切の破綻がありませんでした。PKへの抗議はありましたが、それ以外は試合が荒れることもなく、イエローカードが出されたのはいずれも妥当なところでした。
我々はまず、この二つの事実を評価すべきなのです。批判やPKの議論もあってもいいと思いますが、それは今回の事の本質ではありません。このことに気付いているファンもメディアもありますが、それは少数派。この状態では、日本人審判団の功績が貶められる可能性さえありそうです。
公正な評価を期そうとすれば、PK判定に対する批判や疑問だけでなく、事実として開幕戦を務め上げたことを報じるところがあってもいいはず。しかしそうではなく、何かに取り憑かれたかのようにPK判定のことばかりを採り上げる。公正ではないどころか建設的ですらありませんね。
以前の記事でも書いていますが、日本のメディアもそろそろプロになっていかなければならない。結局日本のメディアは国内で騒ぐばかりで、日本人審判団の功績を世界へ発信することなんて一切できていない。今の報道のような傾向が続いていくのは非常に危うく、これから東京オリンピックを迎えることを考えても相応しいメディア態度ではありません。発信する方も反応する方も、より公正な目を持っていかなければならないと思います。