Jリーグでビデオ判定? 「誤審が起こったから」ではない技術導入是非の議論を
2016/06/14
2月20日(土)に行われたサッカーのFUJI XEROX SUPER CUP。サンフレッチェ広島が3対1でガンバ大阪に勝利するという結果でしたが、この試合で話題になったのはとあるプレーの判定でした。
広島の2点目がPKだったのですが、そのPKになったガンバ大阪DF丹羽大輝選手のプレーが議論の焦点になっています。その問題のシーンは入っていないのですが、ハイライトの動画を貼っておきます。
もう一つ記事を貼ったリンクを貼った記事については、Jリーグはビデオ判定の導入どうするの? と投げかける形で締められています。費用面も含めてきちんと議論した上で、導入の採否を決めて欲しいという願いのこもった投げかけであると思いますし、非常に誠実な書き方をしていますね。
議論すべきは問題のプレーだけではない
このブログで書いておきたいのは、もちろんPKになったプレーの審判の是非ではありません。審判行為の精度向上を図るためのテクノロジー導入への議論、あるいは審判団の技量のレベルアップというのは話題になって然るべきだとは思いますが、同時にJリーグにおける審判の立ち位置や権威についても議論した方がいいと思うんですよね。
以前、2014年ワールドカップの時にも書いたのですが、試合中の審判の判定一つを採り上げて、本質でないところをああだこうだと言い続けるのは建設的ではないと思うんですよね。審判のレベルアップのために判定を議論することはもちろん必要なのですが、それ以外にも議題にすべきことはたくさんあるはずです。
メディアは悪者が現れると記事がつくりやすいので、微妙な判定などがあった場合はとかく審判を“悪”にしがちですが、そうした報道を続けているうちは議論が積み重なっていかない。「誤審があったから、これからも起こるから」という理由でビデオ判定を推し進めようとするのであれば、それは本質を突かない、とんでもなくあさってを向いた話です。
技術導入の議論に必要な対応とは?
個人的には、テクノロジーについては審判の判断を助けるための材料であって、試合を決める絶対的な要素であって欲しくはないと思っています。上記記事の中でライター清水英斗氏が言う人間臭さの魅力というところには同感で、テクノロジーがサッカーの大きな魅力を失わせかねない危険性もある。それだけテクノロジー導入については慎重に議論しなければならない。
テクノロジーがひとたび導入されれば、次に議論になるのはおそらく審判の権威。テクノロジーの信頼度や運用にも関わってくるのですが、ビデオ判定が力を持ち過ぎればその時は審判団への信頼というのが崩壊します。選手と審判とが信頼し合えなくなったら、サッカーは多くの試合が成立しなくなるのは明白です。運用の仕方に関わらず、それを悪用する動きも少なからず出るでしょう。
ゴールライン技術もビデオ判定もそうですが、導入することによってどんな運用が必要か、そもそもサッカーというスポーツとして導入すべきなのか、と総合的に議論をした上で導入の採否を決めなければならない。あるいは、技術導入によって観戦するファンにどんな影響があるかということも、考慮に入れなければならない項目となるはず。
今回のスーパーカップで起こったことを呼び水に、ビデオ判定についての議論が積み重なっていくのは、筆者としては賛成です。ただし、そこで必要なのは「誤審が云々」という感情的な態度ではなく、その影響までを俯瞰で見つめた冷静な対応だと思います。一人のサッカーファン、Jリーグファンとして、建設的な議論を望みます。