スポーツ

古い慣習を捨てて、学校とスポーツの新たな関係構築を

2016/06/14

1月に行われたサッカーのAFC U-23選手権で活躍した、室屋成選手についての記事がありました。今回はこれについて触れたいと思います。

 

まずこのコラムを書く前に一言添えておきたい。今回のコラムのテーマは、明治大学3年の室屋成のFC東京入りが、大学卒業を待たずして決まったことについての、筆者の考察であった。

 

記事のタイトルでも本文でも「一石を投じた」という風に書かれていますが、正にその通りだなと。今すぐに変化はしなくても、学業と深く結び付く日本のスポーツにおいては変化のきっかけになり得るケースなのではないかと思います。

 

これは大学に限ったことではなくて、高校でもスポーツ推薦で入学した生徒が、負傷して競技を続けられなくなってその結果が退学まで結び付く、というのは往々にして日本スポーツ界で起こってきたことですね。これは日本スポーツの育成期間が、学校の部活動に委ねられているからこそ起こる現象でもあると思います。ただ、この形も変わっていかなければならないところではあると思います。

 

競技が出来なくなった、あるいはプロ入りなどの理由で部活に籍を置けなくなったというのが理由で学業を辞めさせられる。高校生にしても大学生にしても、この学業との関連性というのは人生に大きな影響があるんですよね。高校生のような多感な時期であれば精神を潰してしまう恐れがあるし、大学生なら就職活動などそれ以降の進路に影を落とすことになるかもしれない。

 

推薦で入学して、卒業まで部のレギュラーとして活躍できた、ということであれば一見ハッピーかもしれませんが、スポーツに心身を投じ過ぎた結果として、社会性が育たないということもある。高校や大学であるスポーツ推薦入学からの学業というのが、その学生にとって幸せな結果で終わっているかというと、必ずしもそうではないケースが多いのではないかと思います。

 

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室屋選手がプロ入りしたケースが、この先一体どのように学校とスポーツの関係に影響するか?(写真はイメージです)

 

学校とは何のための場所か? 古い慣習を捨てて新しい環境を

教育論は専門外なので語る気はありませんが、学校はそもそも教育機関な訳です。必要な教育や教養を与えるのが学校という場所で、その中でスポーツに関する選択肢も教えることができるのが学校のはずです。ですが、スポーツを理由にして学生から学業を奪うことがある。これでは一体何のために学校に行くのか分からないですよね。

 

このブログでは以前から、総合型地域スポーツクラブのようなモデルに育成年代のスポーツを委譲すべきと書いていますが、学業とスポーツの関係というのは本当に考えた方がいい。時代とともにスポーツも学校も価値観が変わってきているのに、古めかしいスポーツ推薦入学の形が変わらず残っているのはおかしいということに気付かないといけない。学校とスポーツと学生の新たな関係を築いていかないといけない時代なんですよね。

 

大学側や高校側としては経営という事情に話が回ってしまうため、事はそう単純ではないですが、一体何が選手(学生)のためになるのか、与えるべきものは何なのかということは突き詰めた方がいい。社会に向けての人材育成の場である学校が、学生から学業の場を奪うというのがどういうことか、古い慣習は捨てて見直さなければならないはずです。

 

この関係性が見直されるきっかけになるかもしれないということで、室屋選手のケースはライターの安藤隆人氏が語るように重要なケースだと思われます。これを機に、より多くのスポーツをする学生が幸せになれる環境ができたらいいですね。

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