語れるアスリートはメディアを持つべき 思考の連続体がストーリーになる
2016/06/13
今日はちょっと雑談のような話をしたいと思います。常々思ってきたことなのですが、優れたアスリートはその競技だけで優れているのではなく、非常に高い言語能力を持っている、というお話です。
私が例として挙げられるところで言えば、サッカーでは三浦知良、中田英寿、本田圭佑。プロ野球ではイチローといった選手・元選手たちが有名でしょうか。彼らはそれぞれ、日本代表や球界で一時代を築いた、あるいは築いているプレイヤーですが、プレーで魅せると同時に言葉の面でも様々なメッセージを伝えているところがあります。
思考を言葉に起こし、有言実行してみせた本田圭佑選手
最近で言うと、本田圭佑選手。この1月からイタリア・セリエAのミランへ移籍し、既に初ゴールも決めるなど活躍を見せていますが、印象的だったのが新加入の記者会見。ミラン公式サイトの動画ページにもその様子がアップされていますが、全編を英語でこなすと同時に、ミラン加入を決めた理由を「心の中のリトル本田に訊いた」という表現したのは大きな反響を呼びました。
小学校の時の卒業文集で書いた、セリエAでのプレーを有言実行しているところも数多く報道されていますが、注目すべきは彼のビジョンが明確に言語化されていること。小学生、わずか12歳というタイミングで、自分が辿り着くべき将来像を明確に捉えている。それを世界一の選手になる、あるいは(当時世界最高と考えられていた)セリエAでプレーするという表現に落とし込んでいるのです。
言語化することで、小学生の「夢」だったものは現実に追うべき「目標」となった、と言えるかもしれません。企業や社会人はクォーターや年度の目標を数値や具体的な実績で表しますが、こうすることで到達・未達を判断するためのラインが表されます。本田選手の卒業文集はこれに似ていて、思考を言葉に起こすことによって、プロサッカー選手としての自分の理想像に至るためのマイルストーンが姿・形を表したのではないかと思います。
思考を言葉に起こすことの連続体がストーリーになる
本田選手以外にも、中田英寿氏はアスリートが個人メディアを持った先駆けの存在ですが、中田氏が語るそのままの言葉というものが「nakata.net」というサイトに掲載されています。元々インテリジェンスの高い選手でしたが、その言葉にもやはり彼の思考、哲学のようなものが内包されていました。それでいて、読んで分かりにくい言葉は使っていない。
三浦知良選手やイチロー選手も、様々な場で名言を残してきている二人ですね。それぞれに関する書籍も数多く出版されていますが、彼らの過去のプレーや経験に基づいて語られる言葉というのは記憶に残りやすい。彼らの経験に基づいているからこそ、その言葉には具体性があって、数多くの人々に影響を与えているのだと思います。この他にも、元陸上選手の為末大氏も例として挙げられるでしょう。
このように、優れたアスリートというのは自分の思考を言語化する能力も卓越しているケースが多い。彼らが語ることによって何が起こるかというと、そこにストーリーが生まれるんですよね。言葉が残されて蓄積されていくことによって、言葉の時系列が生まれる。言葉は思考を表しているものですから、そこに思考の変化や受けている影響というものを読み取ることができるようになる。その連続体がストーリーになります。
だから語れるアスリートはメディアを持つべき、という結論
そして、そのストーリーにこそ価値がある。このストーリーに触れることで、一般のファンやサポーターは選手たちの人となりを垣間見ることができる。選手がどんな考えを持っているのか、その実像に近付くことによって身近に感じられるようになり、ファンが生まれていくのです。ファンの数が多くなれば、それがそのまま選手の価値となります。
その思考を言葉に起こすことによって、それがその選手の価値を上げていくことに直結していく。日常的にインターネットに触れられる時代になり、インターネットではユーザーとのインタラクションも様々な形で可能。インターネットの世界から、選手の実像に限りなく近いものが理解されるようになっている。だから、語ることのできるアスリートはメディアを持つべきだと思うんですよね。
単純にスポーツがメディアの手によって報道され、プレーする姿だけが見られるだけでなく、その選手たちの実際の姿が選手たちから発信され、理解されていく。インターネットの世界からスポーツを見ている者としては、理解されることでアスリートの価値が上がり、そうなることで日本スポーツ全体の価値が上がっていけばいいな、と願っています。