甲子園、インターハイ… “夏の風物詩”は常識ではない
2016/06/13
7月も終わりが近付くと、学生スポーツでは甲子園やインターハイの話題が盛んになってきますね。それと同時に出てくるのが、選手や観客の健康の問題、つまり熱中症に関する話題ですね。
埼玉大会で熱中症相次ぐ 熊谷38・3度 | nikkansports.com
最近でもこんな話題がありました。甲子園(全国高等学校野球選手権大会)の埼玉県予選の試合中に、選手が熱中症で倒れた時のニュースです。この中での川越西高の監督や、高野連理事の発言が非難を浴び、炎上していたというのがついこの前の話です。
熱中症には死のリスクも 命を削る真夏のスポーツ
個人的な考えを述べれば、この監督や高野連理事の発言には全く同意できません。「水分と塩分の対策からやり直しです」との談話を残した川越西の主将についても、飼い馴らされてしまっているな、という印象です。2年前には、徳島県の高校での練習中に選手が熱中症を起こし、そのまま死亡してしまったというケースがあります。選手も含めて、こうしたことを踏まえて発言しているのかには疑念を抱いてしまいます。
熱中症というのは、知られているようで知られていない病気だと思いますが、体温が上がりすぎることで脳、肝腎、血液などに異常が出て様々な症状を発するというものです。夏季にはそのリスクが高まり、場合には死に至るケースもあります。こちらの統計では、野球は熱中症のリスクが非常に高いスポーツとも言われています。つまり、野球に限らずですが、この時期にスポーツをするというのはある意味で命を削っていることにも等しい。
筆者自身も高校サッカーの出身ですが、正直この時期の練習も試合も、ハードワークするのは身に堪えました。こうしたことを知識に入れたとき、高校生やそれ以下の年代の子供たちが命を削ることを、正当化することなどできるでしょうか?
甲子園で「熱中症球児」続出の恐れ、高野連の言い分は… | ゲンダイネット
ただし、高野連の言い分はこう。「『甲子園』を目指してきた球児たちの夢を叶えてあげたい」「学業を考えると夏休みでないと難しい」と。現実を見ない言い分には呆れを覚える以外にありません。大会開催側の言い訳だけを並べ連ねて、問題を誤魔化している。そもそもが、「夏の甲子園」というのは彼らが作ってきた常識ではないでしょうか。選手の健康を考えれば、この時期や甲子園で大会を開催するのは、伝統と慣習以外に理由がない。
高野連参事は「我々ができる限りのサポートをします」と語ってはいますが、これは熱中症が起こるものという前提に立った考え方。この時期のスポーツの在り方をきちんと考えることこそが、本当のサポートのはずです。競技中の水分補給を奨励しているなどの動きはありますが、それは「この時期に試合を行わなければならない」という、間違った前提に支配された考え方です。
甲子園のマウンドやグラウンドは、気温が30度を越えれば体感温度が40度前後にもなると言われます。その中で試合をするというのは、先述しているように命を削ることに等しい。あるいは、そこで無理やり試合をさせるというのは、高野連や観衆もある意味で“殺人未遂”に加担していると言っても、言い過ぎではないかもしれません。“夏の風物詩”などという間違った常識に支配され、なぜ若者が命を削らなければならないのか。
命と健康があってこそのスポーツ 健康を最優先できる環境を
スポーツよりも命が大事。命あってのスポーツ、健康あってのスポーツです。日本には苛酷な環境を乗り越えることがドラマになったり美化されたりという妙な風習がありますが、スポーツをすることでそんな環境に置かれなければならない理由などない。無理をして死んでしまう、命を繋ぎとめても後遺症などでスポーツができなくなる。こんな不幸な結末が他にあるでしょうか。
教育界が過去の常識が通用しなくなり、変革を迫られる中、その教育と深く結びついてきた学生スポーツも、その在り方を変えていかなければなりません。死人や犠牲者を前例にしてはいけないのです。まず初めに、「努力と根性」ではなく選手の健康を最優先できる環境を。そう強く願います。