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2020年東京五輪のエンブレムが決定 本当に議論すべきはデザインではない

2016/06/14

2020年東京オリンピック・パラリンピックの新しいエンブレムが発表されましたね。最終選考に残った4案の中から、「組市松紋」を描いた案が採用されました。

 

 

是非はあっても4年後までこれで進むしかない

選考対象となっていた4案の中でいうと、私はこの案が最も好みでした。2020年東京オリンピック・パラリンピックについては「これぞ日本独自」と言えるような色を出して欲しいという個人的な願望があり、日本伝統の市松模様や藍色を使用したデザインが良いと思っていました。シンプルさと複雑さの両方を要素として抱えるデザインは、日本の技術力を表すようでとてもいいと思います。

 

とまあそんなことはともかく、エンブレムについて話題になったのはその選考過程ですね。採用されたA案ありきの選考だったとか、選考の仕方に対する疑問だとか個人的な好みまで含めると様々に意見はあるだろうと思います。

 

とはいえ、選考である以上全員を納得させる結果というのは有り得ない。佐野研二郎氏作のエンブレムが使用中止になるすったもんだがあったところから、選考過程を見直して国民の意見も採り入れるとしてある程度の透明性を担保したところで、その点は評価すべきだと思います。それに、その用意された選考過程を通って上記の案が採用された訳ですから、決まった以上これで4年後まで進むしかない訳です。

 

エンブレムの善し悪しではなく、もっと奥底にあることへの議論をすべき

決まったエンブレムに対する是非はどうしてもあるでしょうが、議論すべきは選考過程や採用されたエンブレムの善し悪しよりも、どうして今の状況になってしまっているか、ということだと思うんですよね。前述の佐野氏の件を受けての状態ということでなく、もっと奥底にあるものを探っていかないといけないと思うんです。

 

筆者はどうしても、今回のエンブレムに関する議論に違和感を覚えてしまうんですよね。A案ありきだの、スポーツっぽくないだの、規約で使用できないのに招致時のエンブレムがよかったという意見まで出る始末。佐野氏のデザインを選ぶ時からそうしていればよかったという話はともかくとしても、なぜ選考が進んでから文句を言い始めるのかと疑問に思わざるを得ません。

 

まったく本質を衝かない意見で言論空間が埋め尽くされることに違和感があるんですよね。今のような議論が出るのは、組織委員会の選考過程の見せ方にも問題があるのだとは思いますが、だとしたらそこへ意見をぶつけるべきではないかと。そうした意見をほとんど聞かないことにも、この状態がいかがなものかと思ってしまいます。

 

既に埒もないことですが、インターネットを使って国民も審査投票に参加した方がよかったんじゃないかだとか、そうした議論をしていく方が良いんじゃないかと思います。日本が世界的な大会を開くのは2020年が最後ではないと思いますし、本質的な議論をしていく方がよほど2020年以降の資産となっていくはずです。

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