新国立競技場、混迷の原因はグランドプランとプロデューサーの不在
2016/06/14
もはやここで紹介するまでもないとは思いますが、新国立競技場で再び問題が発生していますね。今回は(この言い方をすることがおかしい)新国立競技場の建設計画の中に、聖火台が存在しなかったという話です。
五輪後どころか本番時さえも見えていないスタジアム利用計画
後者の日経BPネットの記事は聖火台の計画がなかったことに関する記事ではありませんが、今週に入って読んで正にと思ったので紹介します。記事で東京オリンピック後の利用計画について指摘していて、まあ未来は見えていないだろうなと思ってはいましたが、まさか2020年の本番で必要なものさえも見えていなかったとは…。普通の状態、普通の国ではないと以前に書きましたが、その認識があっても驚きを禁じ得ません。
ここで愚痴のように書き連ねてもあまり意味がないので、この混乱の原因について考察したいと思いますが、原因はひとえにグランドプランとプロデューサーの不在ではないかと思います。オリンピックや国際スポーツというものを理解して全体の計画を立てているということもなければ、総合的にプロデュースできる人物が組織委員会にもどこにもいない、というのが現状です。
もう一つ紹介する産経ニュースの記事でも指摘されていますが、東京オリンピックの関係各所で当事者意識が薄い。見ようによっては責任を避け合い、なすりつけ合っている状態でもあるでしょう。組織委員会会長の森喜朗氏も、建設案のコンペの際をはじめとして失言を繰り返すばかりですし、昨年末には副会長だった豊田氏が辞任したことに象徴されるように、同委員会も一枚岩ではないことが伺えます。
世界に恥を晒すのはもはや前提、東京五輪がまともになる道は?
もはや、全体を統括して見ている人間がいない。政府(文部科学省)にも、組織委員会にも、日本スポーツ振興センターにも、どこにも総合プロデュースをする・できる人材が存在しないというのが実情。東京オリンピックへ向けて準備の時間はなくなるばかりなのにも関わらず、それが原因で様々な混乱が起こっているのです。
デキレースのようにデザイナーが決まったエンブレムはパクリ問題で再度公募をかけることに。新国立は建て直し前提で旧競技場の改築を検討せず、混乱の結果取り壊した後に一度計画を白紙にする始末。
企業で事業計画を立てるのであれば、最初からその事業のリスクを想定しておくのは普通ですが、そのリスクの想定自体が存在していない。関係各所がそれぞれ自分たちのステークホルダーの利益を優先する。それが元になって各所が統率されていない動きをし始め、責任の所在が曖昧になり当事者意識がどこかへ行ってしまう。
その他にも細々とした問題があり、総合的な計画やプロデューサーがいれば全ての問題が解決するというものでもないでしょう。ただ、それでも、全体が統括されて芯をつくるようなものがあれば、これほどの混乱は起こっていないようにも思います。何か問題が起こった時に参照する方針やプランがないことから様々な問題が発生してきているのでしょう。
そして世間では組織委員会等の責任問題についてもかまびすしいですが、今論じるべきは誰の責任かよりも、「誰に任せるか」ということだと思います。オリンピックは国家的プロジェクトなのですから、そのプロジェクトを託せる人材をまず一人見つけるべきでしょう。その人間が見つかるまでに責任を問うと、今までと変わらない責任のなすり付け合いになるだけです。
もしかするともはや手遅れという段階に入ってしまっているかもしれませんが、4年後の開催までの道のりを見つめ直し、託せる人材に託していく。世界に恥を晒すのはもはや前提で、今からでも総合計画とプロデューサーを用意すること。そうすることでしか東京オリンピックはまともになっていかないと思います。